「ふれあいウオーク」で郷土長房周辺の古跡・遺跡をご案内します


「長房周辺散策記」の読者をお誘いして、歩きながら周辺を案内します。南浅川流域と長房丘陵には縄文時代から人々の営み、文化がありました。鎌倉時代「山の道」を作り、甲州街道の支道の川の氾濫を避けるために「船田廿里(とどり)道」を作りました。こんな歴史のふるさと(下長房)の散策はいかがですか。       (ふれあい編集委員 伊藤 完)


2023年3月4日の「ふれあいウオーク」は多摩森林科学園と鎌倉街道

 多摩森林科学園の桜保存林では250種類の桜を育てています。中には花の色が白、緑、紫、墨染めの桜もあるといいます。

 妙観寺には境内に阿弥陀・釈迦・地蔵のちょっと変わった「傘地蔵」と呼ばれる3体の石仏があります。

 鎌倉街道そばの梶原八幡神宮の参道には「梶原杉」といわれる大杉がありました。樹齢約800年、高さ30m、目通り幹周囲12m、昭和3年に都の天然記念物に指定されていましたが、昭和47年、樹勢が急に衰え伐採されました。現在もその切り株の大きさが往時を偲ばせます。

         陵南大橋のたもとの早咲きの河津桜がちょうど満開でした 

            散策記(32)で紹介されたサイカチの樹の下で                    森林講座も開催されている多摩森林科学園        梶原八幡神社


2022年9月10日の「ふれあいウオーク」は下長房の遺跡巡り

  京王帝都御陵線が跨いでいた南浅川土手    南団地の中の古墳公園、一見古墳には見えない   陵南公園のサービスセンター前には5輪記念碑が                                     

   酷暑も多少和らいできて、半年ぶりの「ふれあいウオーク」は、市民センターから、御陵線の橋脚を辿り、陸軍幼年学校正門跡、旧石器遺跡公園や船田古墳公園、また三軒在家稲荷神社、日光神社、慈眼寺、長泉寺、東照寺、など多数の神社仏閣や、鎌倉街道「山の道」が通る武蔵野陵まで足を伸ばし、下長房の遺跡をくまなく巡りました。

 今回終了地点だった陵南公園は1964年に開催された第18回東京オリンピックの自転車競技会場に決定され、競技のトラックと共に選手村としても使用されて「高尾宿舎」と呼ばれたそうです。公園開園は4年後とのこと。

          この日参加の23名のメンバー、CAINZの広場で


2022年2月19日 2年ぶりの「ふれあいウォーク」は多摩の横山歩き

 数千匹の蛙の繁殖池だったという真覚寺の池    万葉公園・多摩の横山碑の前で         散田の街道が見渡せる丘の上

 コロナ騒ぎで「ふれあいウオーク」もしばらくのお休みでした。この日の参加者20名が向かったのはまず、めじろ台方向のこんもりとした丘、万葉集にも載っている「多摩の横山」の歌碑がある万葉公園。近くに真覚寺、その境内に高宰神社があります。

 真覚寺境内の心字池にはヒキ蛙の繁殖地で「蛙合戦の池」として有名でした。太平洋戦争前は毎年彼岸の頃、万を超えるヒキ蛙がメスを求めて争ったと言います。周辺の都市化が進み今は蛙は見られなくなったということです。

   赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山かしゆかやらむ(多摩の横山歌碑の前で)  


2020年2月8日、7回目の「ふれあいウォーク」は鎌倉古道」の散策

    三軒在家稲荷神社               慈眼寺鐘楼                かたくりの丘

 立春も過ぎて日差しが暖かくなったこの日、参加者30名のふれあいウォークは、三軒在家稲荷神社からスタートしました。このあたり、昭和20年まで京王帝都御陵線が通っていました。線路跡の段差を降り、鎌倉街道の灯籠坂を下り、慈眼寺に出ます。慈眼寺内には明治19年に、長房で始めて尋常小学校が設立されました。

 鎌倉街道は関東に7通り、都内に4通りあると言われ、長房を通るのは御陵の中を貫いている鎌倉古道「山の道」です。城山手住宅に入り、しらかし公園、もみじ公園、かたくりの丘を経て、出羽山公園でこの日の散策は終了しました。


2019年9月14日、6回目の「ふれあいウォーク」は白山神社と周辺

 午前9時に、長房市民センターを30人でスタートした今回のウォークは、ガイド役の伊藤完さん夫妻の案内で、南浅川の左岸を上流をに向かって先人たちが様々な苦難をしのぎ、知恵を絞って造り上げた長房の歴史を訪ねました。意外に知られていないのが、綾南公園にある野球場が、前回の東京オリンピックの競輪場であり、優勝者の名前を刻んだ碑が事務所の前に建っていることでした。野球場の外れにある古道橋は、遠い昔に鎌倉街道があり、多くの旅人が往来していた歴史をかたりつぐ橋として、紹介されました。すぐ右側の多摩御陵の敷地の一部に大きな松がたちならぶ一角が不思議な光景ですが、以前は長泉寺のあった場所で、移転させられて今は中郷にあります。川の流れは台風の雨で石が洗われ、希に見る透き通った綺麗な水でした。高尾駅を左に見ながら少し進むと、こんな所にと思える所に御嶽神社がひっそりと建っていました。この一帯は、古戦場で武田と北条の軍勢が激しく戦ったこともあり、あちこちに塚や小さな神社、祠が創られたものが心ある人々により今に残った一つとのこと。浅川の流の中で落差の大きな滝と、滝壺の一つ、でんでん淵とその上流は、まるで上高地を思わせる光景でした。長房地域の守り神として、親しまれる白山神社は、100段あまりの階段の上にあった拝殿が近年下の寺の庫裏と合わせて建て直されいっそう親しまれていました。中央線と甲州街道の交わる両界橋の名前の由来は諸説あるようですがその下の古淵は、思わず引き込まれそうな深い流れで、怖い話が語り継がれるのもうなづけます。帰路は線路下の裏道を通り、高尾駅に出て、解散しました。この後は、市民センターに戻るみなさんで、道の途中にある熊野神社に立ち寄り、浅川町民に親しまれ守られてきた社や樹木、由緒書きにおもいをはせ、帰宅の途に。


2019年2月、5回目の「ふれあいウォーク」は十二神社と興福寺

 今回は、かつての鎌倉街道の「不動坂コース」をたどりました。二軒在家熊野十二社は熊野本宮を勧請したという伝承があるだけに堂々たる造りです。境内が公園になっています。長房の幼年学校内にあった雄建神社が合祀されているという三田十二社は、五月の祭礼では参道に蝋燭が灯され大勢の参拝客が訪れます。多数の千人同心を供養し、千人同心の頭、河野家、中村家の菩提寺でもある興福寺のしだれ桜も、このところの寒気の緩みに蕾をふくらませているようでした。

 関東では唯一の、楠の大木を横に切り柱に加工した「横木の門」がある興福寺境内で

 雄建神社も合祀されている三田十二社

 熊野本宮勧請伝承の二軒在家熊野十二社

  最近は樹木葬もあるという興福寺



2018年9月8日、4回目の「ふれあいウォーク」は吉祥院と龍泉寺

「ふれあいウォーク」もこれが4回目、今回の参加者は40数名、散策コースは一乗山吉祥院と桃源山龍泉寺となりました。

 吉祥院の本尊は大日如来、龍泉寺は阿弥陀如来なのですが、両寺とも本尊とは別にもっと親しまれている仏様があります。 吉祥院には「八王子八福人」に加えられた吉祥天女像、龍泉寺にはポックリ観音様と親しまれている水崎観世音菩薩像がそれです。彼岸の中日、水崎観音像の御開帳の日には安穏の極楽浄土の旅立ちを願って千人を超える善男善女が集まるそうです。

 この寺かポックリ寺と言われるようになった由来など、講話を伺った龍泉寺の住職と

 吉祥院は多摩88カ所霊場の第67番札所でもある


「長房周辺散策記」で辿る「ふれあいウォーク」郷土の古跡

第3回ふれあいウォーク 2018年2月7日 日光神社前

第2回ふれあいウォーク 2017年9月9日 船田会館前

 

第1回ふれあいウォーク 2017年2月11日 センター前

 

 長房地域住民協議会広報誌『ふれあい』に掲載している「長房周辺散策記」の読者方をお誘いして、歩きながら今までの記事をご案内します。これまでに3回それぞれのコースを散策しました。

 私達が住む長房地域は、南浅川流域と長房丘陵から構成されます。

ここには、縄文時代から人々の営み

がありました。文化がありました。

 鎌倉街道「山の道」が通り、甲州街道の支道で川氾濫を避けるためハケ上に「船田廿里(とどり)道」がありました。

 北条氏照は未完成の八王子城「惣構え」に長房を含めていました。

 千人同心達は長房の土地をを開墾しました。

 戦争中は、陸軍幼年学校が建てられ、82日の空襲に逢いました。

 昨年NHKが『ブラタモリ』で、京王御陵線を紹介していました。こんな、歴史の故郷「下長房」です。ごいっしょに散策してみませんか。 ふれあい編集委員  伊藤 完

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